ホーム > こどもと移動する > 木綿、養蚕、自動車…産業の移り変わり
ふなふなさんの体験をもとにした記事です。
そうだったの?クルマのまち豊田になるまでの歴史
第一展示室で目を引くのは、
直径3.6mの大きな大きな水車。
木綿の糸を紡ぐ「ガラ紡(ガラ紡機)」の動力として活躍したものです。
三河地方は江戸時代から全国有数の綿の産地だったんですね。そういえば「三河木綿」って聞いたこと、ありました。
それまで手で紡いでいた糸が「ガラ紡」によってぐんと効率化されると、日本最大のガラ紡の産地に。
すごいですね!
水車を利用しやすい、川のある地形がよかったようです。
ガラ紡は実際に動かしてもらうこともできます。
横一列に並んでいる筒が、ガラガラと音を鳴らしながら回り、中に入っている綿によりがかけられながら引っ張られて、糸になっていきます。
ガラ紡の「ガラ」とはこの音のこと!
なるほど~。
日本で発明されたこの機械、
仕組みがおもしろくて目が離せませんでした。
生糸のまちへ
時代が変わり、木綿にかわって豊田の近代を支えたのは養蚕と製糸でした。
明治政府の「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」、
生糸(絹糸)を海外に売って外貨を得るのが国策でもあったんですよね。
展示には、豊田市駅近くの写真があります。
そこに写っているのは一面の桑畑。
今とはずいぶん違います。
農家の人が蚕を育てるようになり、
いまは産業文化センターになっていますが、
「加茂蚕糸」という製糸工場もありました。
ここでは、女性が大きな役割を担っていました。
女性の力、大きかったんですね!
(昭和25年の記録では380人中約8割が女性)。
小学校見学の時には、まゆをさわってもらったり、においをかいでもらうんです。
「蚕の命をもらって絹が作られていることを知って、大切に使ってもらいたいですね。」
と、案内をしてくださる職員の方から聞きました。
わたしもまゆのにおいをかいでみましたが、なんとも言えないにおい…。
そして自動車産業へ
昭和に入り、世界恐慌のあおりをうけて養蚕業が行き詰ります。
そこで、まちが誘致したのが自動車工場でした。
地の利やタイミング、人々の思いや努力があったからこそ実現した誘致。
現在まちを支えている産業も、立ち上げの時には
手に汗握るストーリーがあったんですね。
歴史のかげにドラマあり
他にも、近代の発明品や特産品が展示されていますが
それとともに、紹介されている人物も魅力的でした。
たとえば「宇都宮三郎」。
いろんな発明をしています。
- 燃料が従来の半分で済む改良かまど
- セメントの製造
- お酒の新しい醸造法など
もっと有名になってもおかしくないくらい、すごい人なんですって。
本人が実験台となった、
聞いてびっくりの発明品(?)もあります。
ヒントは棺。
実際に発見館に行ってみて、展示や資料をじっくり見てくださいね。
映像資料を見るのも興味深いですし、
紙の資料も各コーナーに豊富に用意されています。
持ち帰ってじっくり読むとまた楽しいですよ。
偉人マンガもいいけれど、
わがまちに縁のある「すごいひと」、発見館で「発見」してみませんか?